2017年 05月 23日
On stage
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週末に初めてHIP-HOPというものを経験した。90分の体験レッスンはとてもハードでランニングより体力的にきつかった。夫婦で参加って珍しいですねといわれたけれど、夫は経験したことがないことを経験することに喜びを感じるタイプであり、事実楽しそうに踊っていた。私は全く踊れず、音にものれず。バレエ経験も全く役たたない上、鏡に映る足がもつれそうな自分を見るたびに笑いが止まらなかった。

写真を絞りがいくつでシャッタースピードがなんたらと考えただけで私は全く写真が撮れなくなる。だからいつだって絞り優先でカメラまかせだ。自分の眼と感覚だけを信じて、あとはカメラにまかせるーというともっともらしいけど、要は考えて撮れないだけである。さらにランニングも一度だけフォーム改善のようなことを試みてしまったら、どうやって足を出して走ればいいのかわからなくなり、走ることができなくなった。ランニングが嫌いになりそうだったし、これは本末転倒だと思って諦めた。気持ち良く走れないならそこに意味はない。

そしてHIP-HOPをやってみて、やはり私は頭で考えると動けないのだと再確認した。先生が右足左足と説明してくれるのを無視して音楽だけきけば身体はうごく。けれど説明を聞き始めるともう身体が棒のようになる。しかし押せば写るカメラとは違うので、HHIP-HOPを踊りたいのなら、基礎ステップは習得しなければならない。

例えば絵を描くならデッサンを、楽器を演奏するならまず音を出せなくてならない。写真はそういう技術的な部分をすべてカメラがやってくれるというのがもっとも最大のアドバンテージだと思っている。写すだけで大変だった時代を経て、デジタルカメラは技術の解放をしてしまったと言った人がいたけれど、ある意味その通りなんだろう。それによって皆同じスタートラインに立てるのだから、こんな素晴らしい表現手段はない。写真の技術技術と言われるたびに技術ってなんだろうと思ってきた。それは今でも変わらない。写真が撮れない、スランプだというと技術を習得すればいいと人はいう。でも私はそういう意味の技術は必要としていない。私が写真が撮れないと感じるときは、頭のほうに熱がいっているときだ。考えすぎてしまったり、こんなことをやっている自分がバカみたいだと思い始めたり、邪念で頭がいっぱいのときに私の心は躍らない。

もちろんこれは私のケースで、正しい意見でも絶対的な意見でもない。私と写真の関係性のようなものである。私にとってはとてもシンプルなことで、これ以上でもこれ以下でもない。

by sudi.s | 2017-05-23 09:06 | SIGMA DP3M


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