2017年 04月 22日
その向こう側へ
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まるで10年前の写真みたい。あのころ、いつもガラス越し、カーテン越し、フェンス越しの写真ばかり撮っていた。自閉的写真とも言われたけど。でもあのころより私の意識は外へ向いているはずだ。

先日の反響が想像以上で驚いた。メッセージやメールありがとうございました。普段1000人弱しかビュワーがないこのブログも一度に3000人の方に目を通され、たくさんのご意見をいただいた。わかる人にはわかってもらえているんだなということを再確認したのと、伝わらない人には写真も言葉もなんの意味もないということもまた同時に気づかされた。そしてほとんどの方はきちんと丁寧に作品を見てくださってきたのに、極少数派の意見に惑わされてしまいごめんなさい。

当然あると思った意見の中に暗室作業の工程のことがあった。私はきちんと暗室作業というものをしたことがないけれど、写真家のネガにたくさん書かれた指示とプリントを目にしたことがある。けれど私は世界的なプリントのマスターに直接きいた言葉をずっと覚えている。「フィルムには原型があるが、デジタルにはない。そこが圧倒的な違いである。だからデジタル現像・処理は注意深くやらなくてはならない。いくらでも際限なく行きすぎてしまう恐れがある」という言葉。そして「写真は撮る時にほとんどを完成させていなくてはならない。大幅に補正しなければならない写真はもう写真として失敗している」という言葉もまた私には強く強く残っている。だから私自身も諦めた写真というのはたくさんある。

私は写真を撮るときの他では味わえない緊張感が好きだ。一瞬の集中力。目に飛び込んでくる瞬間がたまらなく好きだ。何かを見つけた瞬間に別人のように表情が変わると一緒にいる人によく言われるけれど、自分ではよくわからない。ただ無になる瞬間というか、狩人の目になるのかもしれない。

最近はそういう瞬間があまりなく、シャッターを切る頻度が減っている。結婚して写真が変わったとよく言われる。私自身の気持ちが大きく変化し、今までの人生で感じたことのない安心感や温かさの中で生きているので、私そのもの=写真が変わっていくのは当然だと思う。今はサナギの脱皮の気分というか、殻の中でもぞもぞともがいているのではないかなと思っている。昔の自分にしがみつく自分と新しい自分に戸惑う自分の間で。だからいろんな写真を撮る。自分らしくないものも。でも自分らしいってなんだろうとも思う。きっと変化を恐れずに写真が撮れたら新しい自分に出会えるかもしれない。わたしはわたし。変わったけど、変わってない。私が撮るものは私の写真。誰がなんといっても私の写真です。

by sudi.s | 2017-04-22 19:55 | SIGMA DP3M


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