2015年 08月 21日
ランデヴー
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生き甲斐は探していると見つからないというのは真実のように思う。恋と同じで。

10代後半で唯一心の拠り所であった踊ることを手放した。私の20代は、自分の人生をかけるものがなく、それはただただ苦しいだけだった。同年代の友人たちが合コンだデートだとはしゃいでいた時期に私が唯一求めていたものは、生き甲斐だった。自分が生きていると実感できるものが欲しかった。それは刹那的な快楽などとはかなり異なるものだった。

けれど20代後半に探すことを諦めた。もういいかな、そんなものーと心から思った。もう自分探しのようなことはやめようと。

それから唐突に写真と出逢った。本当に文字通り唐突だった。初めて父の一眼レフを借りてシャッターを切った日のことを昨日のことように覚えている。「ああ、これだ」とその瞬間に思った。身体中が熱くなって、そして泣きそうだった。恋に落ちるように、理屈ではなくストンと自分の中に何かが落ちた。それからカメラ屋でキスデジを買うまでそれほど時間は要さなかった。

生き甲斐は探すものではなく、向こうからやってくるものだと言う。それは避けようがないものだ。しかしそれはボーッと生きていても出逢えない。けれど血眼になって探しても出逢えない。向こうからやってきたときに、それを感じ取れることが大切なのだと思う。

またそれはひとつであるとも限らないと思う。運命の人はひとりではないのと同じで。これしかないと思い込む必要もないとも思うし、けれどやっぱりこれしかないとも思ったりする。その間を行ったり来たりして結局手放すことなんてできない。そういうものかもしれない。

by sudi.s | 2015-08-21 20:34 | X-T1


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