2013年 11月 29日
甲州街道
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10キロ走ることが日課となっているけれど、今日の寒さは身体に凍みた。本当に冬というのはいつも唐突にやってくる。だんだんとではなく、それは突然に。

残り1ヶ月。今年の一番大きな出来事はやっぱりランニングを始めたことかと思う。そしてこんなにはまっていくとも思わなかった。誰に強いられている訳でもなく、時に疲れていても、それでも走ってしまう。すぐにランニング教室にも通い始めた。走り方は習うものだと思った。我流でもいいのかもしれないけれど、正しくないフォームは故障に繋がるのではないかと感じたから。

写真は頑に習おうとしないのにとまわりの人は笑う。写真を撮ることに関しては、教えを乞う必要性を感じなかったからだ。というか「習うことのできる」ものと最初から思っていなかった。といっても何度かトライはしてみたことはある。でも無理だった。どうしても無理。先生の言うことが理解できないし、共感もできない、「できない」感情だらけで、心がフリーズしてしまう。結局、先生の感性より、自分の感性を信じた。

写真教室にも型にはまらないものもあると思うし、生徒の感性を殺さず感じるままに撮りましょう、プリントしましょうといったものもあるとは思う。あるとは思うけれど、教室に行く以上「感じるまま」だけでいることはたぶん難しい。技術だけを習いたいと思ってこちらは行く。けれども、撮る以上、それを見せる以上、そこから先生の個人的意見というものが加わってくる。そのときに自分の意見を絶対に押し付けないでいられる先生がどれだけいるのか、またそんなことは可能なのか疑問に思う。教えるという経験がないのでわからないけれど、自分ではそんなつもりはなくても、そうなってしまうものではないのかと。それほどまでに教えるというのは難しいことなんではないかなと思う。

スポンジのような状態でやってくる生徒は先生から吸収できるものはすべてしようとするだろう。影響を受けないことは不可能に近い。もっとも影響を受けることは全然悪いことではない。当然のことと思う。ただそこに「疑うことのできる」自分がきちんといるか。自分で感じて考えるかどうかということにかかってくるように思う。もし先生が言うことに対して、一度たりとも疑問に思う瞬間がないとしたら、その人は少し危うい。そして本当の意味で学んではいないのではないだろうかと思う。

写真は考えて撮るものではないとずっと言ってきた。今もそう思っている。変わらず。しかし「考えない」人には写真は撮れない。撮ることはできない。それはたぶん真実に近い。

by sudi.s | 2013-11-29 21:01 | SIGMA DP3M


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