2013年 06月 17日
Be present
a0011962_21171820.jpg




在廊しているときに「うまく撮ろうとしていないところがいいですね」とか「作為がないところが好き」ということを言われた。今回に限らずよくいわれることではある。私自身は他人の作品を見て、作為があるとかないとかよくわからない。そんなことも考えない。でもきっとそういう作品には、私自身何も感じていないのだろう、正直なところ。

もちろん写真はうまくなりたい。うまくというよりは、いい写真を撮りたい。自分が納得できる、気持ちいいものを。けれども、撮るときにそんなことは一切考えない。何も考えない。その瞬間だけ、そんなことはどうでもよくなる。

そして私はよく落ち込む。ほとんど趣味みたいに。ものすごく絶望的になる。習慣のように。生きている意味も価値も全くないように感じる。けれど、一旦シャッターを切り始めると、もっといえば、撮りたい対象物に出逢ってしまえば、そんなことは取るに足りないことになる。何もかも忘れてしまう。生きている意味などどうでもよくなる。

それほどまでの強力な何かが写真にはある。写真を撮る行為には。「写真を撮っているわけではないのかも」とは私が在廊中に発した言葉であり、いささか危険な表現ではないかと指摘を受けた言葉でもある。もちろん写真を撮っているには、撮っているのだけれど、なんというか、私にとってはやっぱりメディテーションなんだと思う。あの感覚を一度でも味わった者は、それがない人生にはもう戻れないのではないだろうとすら思ったりする。

by sudi.s | 2013-06-17 21:37 | SIGMA DP3M


<< ありふれた日常      光と影 >>